張子房塾

経営者の皆様を対象に経営塾を開設しました。今までの経験を中小零細企業経営者支援に全力投球します。

何が起きても「遺憾である」症候群

ようやく確定申告が昨日無事終了しました。
さて,本題です。
「遺憾とは」とは、思い通りにいかず心残りなこと。残念。・・・広辞苑より
国内外の事件や事故、あるいは外交に係わるような問題が発生したときに内閣官房長官や所管の大臣がその点について問われたときに答えるのが「極めて遺憾である」と言うものです。

 最近では、日韓で決着がついたいわゆる「慰安婦」問題について国連の人権高等弁務官が、日本軍による性奴隷制度を生き延びた人々と表現したり、同じく国連のクマラスワミが日本を貶めるための持論を改めようとせず、最近では日本の皇位継承問題で男系男子であることが女性に対する差別であると言いまくり、教養の劣化を晒している現状について、政府答弁は「極めて遺憾である」という抽象論で終始しているのが現実です。

 「極めて遺憾である」ならば,直ちに担当省庁に指示して再発防止に全力を挙げることが本筋です。しかし,同じような事柄が繰り返されている現状から見て殆ど役割分担が機能していないと考えられます。
 国連分担金をアメリカに次いで多額に支払っている割にはあまりにも策がなさ過ぎます。多額に支払えばそれに見合う効果を引き出すことが国民に対する責任ではないでしょうか。

 外務省の存在意義は、国際社会における日本国及び日本国民の利益の増進を図ることを任務とする。と定義されています。「極めて遺憾である」で済ませるならば外務省不要論が再燃しかねません。

 企業の経営が消費税増税個人消費が落ち込み、公共投資の大幅削減で内需が減少して経営環境が悪化した場合、経営者が「極めて遺憾である」なんてのんきなことを言っていればたちまち市場から退場させられてしまう。
 どんな環境の下に置かれようと我が社のために全力投球するのが経営者の姿勢です。生き延びるための戦略を練り、それらを具体化するための戦術を考える。これが経営者の仕事です。どんな環境に置かれようとも打つ手はある、打つ手はないのは考えないからである。頭は生きている内に使えと天風は教えています。