張子房塾

経営者の皆様を対象に経営塾を開設しました。今までの経験を中小零細企業経営者支援に全力投球します。

「捏造」パート3

 それでは,「南京大虐殺」について,事実だけを対象にして検証してみましょう。全くの素人でもこれ位の判断が出来るのに、ユネスコ記憶遺産委員会では事件の真相究明を疎かにし、中国の意のままに決断を下してしまったのです。理由は「捏造」パート1で示したとおりで、明らかに日本を貶めるための政治利用と言えます。そして、こんな判断しか出来ない委員会メンバーの総入れ替えを強く主張すべきです。

 いよいよ事実に基づいた検証をしていきましょう。
 昭和12年12月、当時中華民国の首都であった南京が陥落しました。この時、旧日本軍の占領下で起きたとされる事件が後に「南京大虐殺」と言われる事件です。中国の犠牲者が30万人と主張しユネスコ記憶遺産に登録させていまいました。「捏造」がここまで来たら見事なものです。まるで白髪三千丈の世界です。「嘘も百回言えば事実となる」喩えどおりではないでしょうか。

 まず,普遍的な常識で判断すると如何にこの事件が捏造であったかが理解出来ます。
 昭和12年12月日本軍は当時の首都南京を包囲しました。この時、あってはならない事件が起きてしまいました。それは国民党軍司令長官が敵前逃亡を謀ってしまったことです。司令部を失った軍隊は統制が取れなくなり,組織は崩壊してしまったのです。国民党軍は生き延びるために軍服を捨て民間人に成りすましたゲリラ兵となったのです。これが便衣兵と言われているものです。

 ハーグ陸戦条約では民間人の服装をした軍人は捕虜としての資格もなく、見つけ次第射殺しても良いことになっているのです。民間人と思っていたら銃を持った隠れ軍人だった、と言うことでは自軍の統制は不可能です。
 占領直後はこのような光景は日常茶飯事あったと推察されます。当然便衣兵の死体が市内のあちこちに多数散在していたと考えられます。

 戦時中司令長官が敵前逃亡を謀ると言う大恥を世界に向かって発信するわけには行きません。そこで行われたのが捏造です。30万人の大虐殺。戦中戦後に至るまで誰一人と言えども大虐殺があったことを知りませんでした。知るわけがありません。そんな事実はなかったからです。

 当時の人口を見てみましょう。南京戦が始まった12月10日の南京市の公式人口は20万人。占領後の3月下旬の登録人口は27万7千人です。
 次回はこんな馬鹿な話しを信じますか?