張子房塾

経営者の皆様を対象に経営塾を開設しました。今までの経験を中小零細企業経営者支援に全力投球します。

歴史の真実 点と線 その8

満州に駐留する日本軍と中華民国満州事変以降直接軍事対決するようになりました。この緊張状態の中で起きたのが「蘆溝橋事件」です。一般的に日本軍が夜陰に紛れて発砲したのが原因であると言われていますが、真実はソ連が漁夫の利を得ようと日中戦争を誘発させるためにコミンテルンの命令で中国の共産党員に命じて発砲させたものであることが戦後判明しております。

支那事変は日本軍の一方的な勝利で,中華民国蒋介石は撤退に次ぐ撤退を繰り返し,中国全土が日本の支配下に置かれる勢いとなってしまったのです。
支那事変は欧米列強の支援を取り付けた中華民国が仕掛けた戦争であり、日本が植民地支配のために行った戦争ではないという真実は理解しておくべきでしょう。

ここで,当時の世界情勢をもう一度振り返ってみましょう。当時は今日の平和な時代と違い、弱肉強食の時代で、植民地支配や人種差別は当たり前の時代でした。これによって欧米列強は国力を強化させていたのです。

ところが東洋の一角に有色人種の日本があっという間に列強に加わり、破竹の勢いで満州国を支配し、中国までも風前の灯火となりつつある現状で、欧米列強は日本の進撃を封じ、植民地の権益を守るために団結することになります。これが有名なABCD包囲網です。アメリカ、イギリス、中国、オランダが日本の快進撃を止めるために経済封鎖を実行しました。資源小国日本は息の根を止められてしまったのです。これに追い打ちをかけたのがいわゆる「ハルノート」です。中国からの無条件撤退を含め、とても飲めないような過酷な条件を突きつけ、日本の自爆を誘発させることに成功したのです。
有色人種の小国日本が欧米列強の利権を脅かす行為に対して,彼らがどれほどの恐怖感と嫉妬心を抱いているか当時の日本人には気付く人は殆どいませんでした。

後の東京裁判でインドのパール判事が、ハルノートのような無謀な条件を突きつけられればモナコのような小国でも銃を持って起ち上がったであろうと言わしめた代物です。この原案作成者はアメリカに潜入していたロシアのスパイであったことが戦後判明しています。

欧米列強から孤立してしまった日本がやむなく自衛のために起ち上がったのが大東亜戦争です。
大東亜とは欧米列強の植民地支配と人種差別の撤廃を掲げて戦った自衛戦争だったのです。
大東亜戦争で敗戦はしましたが、この敗戦によって植民地支配と人種差別の開放が行われた事実は日本人として銘記しておくべきでしょう。

戦後、GHQは大東亜戦争の呼称を禁止して太平洋戦争と言うように強制しました。何故でしょうか。日本の戦争理念である大東亜の開放という真の目的が分かってしまうとアメリカの仕掛けた罠の理由がばれてしまうからではないでしょうか。
歴史の真実を「線」で理解すると意外なことが分かってきます。いよいよ次回から歪んだ形で流布されている諸問題について考えていきます。