張子房塾

経営者の皆様を対象に経営塾を開設しました。今までの経験を中小零細企業経営者支援に全力投球します。

歴史の真実 点と線 その5

欧米列強の植民地支配を排除し,我が国を自衛するためには「富国強兵」しか選択の余地がなく,これを経済面から支えるために取られた政策が「殖産興業」です。これによって軽工業を中心に近代化が進んだことは歴史の事実です。

地政学では、朝鮮半島の情勢が,我が国の独立にとって極めて重要であることが理解出来ます。ところが、朝鮮半島は長い伝統を有する中華思想に基づく朝貢体勢に組み込まれ、清国を主君、朝鮮半島を臣下とする主従関係が続いていたことも歴史の事実です。

ところが、イギリスの植民地支配を完成させるためにアヘン戦争を強要され、半植民地にされてしまった清国は朝鮮半島を保護する体力を失ってしまいました。もしこれが破綻すれば朝鮮半島も欧米列強の餌食となり、我が国の独立を保つことは極めて困難な状況となってきたのです。

そこで、欧米列強の植民地支配の嵐の中で日清両国が争えば,漁夫の利を与えてしまうと判断し、日清両国の紛争を解決することが急務となり「天津条約」が締結されました。この条約は日清両国が朝鮮半島から完全に撤兵し,以後出兵するときは相互に照会することを義務づけたものです。

しかし、伝統的に朝貢体勢に組み込まれていた習慣から、他力本願の姿勢が強く,不安定な状況が続いていました。ここに明治27年東学党の乱」が朝鮮全土に波及し、自立解決が困難と判断した朝鮮政府は「天津条約」を無視して清国だけに救援を求めてしまったのです。当然清国は直ちに出兵。清国から日本に送られた通知には「属邦保護のために出兵」とあり、明らかに「天津条約」に違反したため,日本は「居留民保護のため朝鮮出兵」と通知して日清戦争の端緒が開かれました。

当時の清国は陸軍で日本の4倍の100万の兵力を要し、海軍も約4倍の軍艦数を誇り、弱小国日本を完全になめきっていました。中でも,日本には存在しなかった「定遠」、「鎮遠」と言う巨大戦艦を要し、脅威の的となっていたのです。

民度の高い日本は,この危機を理解し、一致団結して勇猛果敢に戦い清国を圧倒しました。この事実は歴史が証明しています。
この結果、朝鮮半島は独立を果たし,日本は所期の目的を達しました。日清の講和条約の中で遼東半島を世界の了解の下で領有することになったのです。
ところがこの直後、ロシア、ドイツ、フランスのいわゆる三国干渉問題が起き、武力に劣る日本はこの勧告を受け入れざるを得なくなり,清国に返還するという屈辱を味わったのです。正に臥薪嘗胆。
三国干渉に熱心だったのはロシアであることが明白であり、これが日露戦争の原因となっていくのです。