張子房塾

経営者の皆様を対象に経営塾を開設しました。今までの経験を中小零細企業経営者支援に全力投球します。

最近、奇妙な現象が起きていませんか

6月2日の管総理の退陣劇は、いわゆるスネークアタックであり、それ以降異常な現象が連日連夜無批判にしかも興味本位に報道されていることに違和感を覚えているのは小生だけでしょうか。正統性を失った政権には何が起きても不思議ではありませんが、今日の現象は明らかに奇妙です。

管内閣の未曾有の災害に対する姿勢は明らかに拙速であり、自ら掲げた「最小不幸社会の実現」が、政権維持を謀ることによって、皮肉にも「最大不幸社会の実現」を招いてしまったことは、不支持率70%の評価するところとなり、危機対応には無為無策であることが証明されてしまった。この現実に対応して奇妙な現象が続いているのである。

そもそも内閣は総理大臣がそれぞれの担当大臣を指名して組閣することに始まる。当然、総理の方針に沿って、各担当大臣はそれぞれの方針実現に向かって努力するのが普通の姿である。ところが総理の資質に問題が出たり、政権末期になると各大臣が閣内にいるにも拘わらず総理の資質を公然と批判したり倒閣運動に荷担したりする現象が連日報道されている。これを社会の木鐸と言われているマスコミが無批判に記事として掲載し、国民の関心を煽っている現象が目に付く。また、任命した総理も自分の批判に対して何一つ文句も言わず、ひたすら政権の延命を図っている姿勢に、いやらしささえ感じている。

常識では、自分が任命した大臣が総理を内外で批判すれば馘首して次の大臣を選任すべきなのに、実行して内閣がガタガタになり、政権延命に繋がらないから敢えてそっとしておく姿勢に、自身の政権延命だけしか考えない姑息さを感じ取っている国民が殆どであろう。また、管総理を閣内にいながら批判することは、世間受けすると勘違いしている向きもあるが、批判するなら大臣を辞任して閣外に去ってから堂々と批判すべきである。これらの原理原則に外れた異様な行動に対して、無批判に記事にしてしまうマスコミの大衆迎合主義が社会の木鐸としての使命を自ら放棄していると言わざるを得ない。

最近、西岡参院議長が6月7日の産経新聞で次のように述べています。曰く「管内閣を支えて来られた歴代政府高官、与党幹事長、政策責任者の皆さん、今、人ごとのように勝手な発言をされていますが、実は皆さんは、総理と『共同正犯』であることをくれぐれも忘れないように」正に正論である。

管内閣の次の内閣云々について、いわゆる共同正犯的な人物が堂々と次期内閣の候補に挙がったり、次期内閣の構想を発表している現象も異様である。本来は、現政権の無為無策が国民に批判された結果総辞職するのだから、現政権の閣僚も無為無策であるから次期政権を引き継ぐ資格は常識ではないはずである。それを無批判に報道する姿勢に木鐸としての使命を放棄していると言わざるを得ない。

会社組織で考えてみよう。社長が任命した取締役が社の内外で社長の悪口、会社の悪口を言ったらどうなるか。即刻馘首。社長の方針に賛同した取締役により一丸となって事業経営に邁進する。そうでないと組織は内部から崩壊し、やがては淘汰されてしまう。如何に政治の世界といえども摂理を無視することは許されないのである。真っ当な人間が全うに生きれる社会の実現を目指しましょう。