張子房塾

経営者の皆様を対象に経営塾を開設しました。今までの経験を中小零細企業経営者支援に全力投球します。

言葉の重み

管総理は内閣改造を行っても一向に支持率が向上しない。何故なのか。総理としての言葉に重みが無く且つ言行不一致が目立っているからではないでしょうか。国民は敏感に肌で感じ信頼感を寄せられないイライラが閉塞感を漂わせています。

例えば、2月7日の「北方領土の日」に管総理は昨年11月のロシアの大統領の国後島訪問を「許し難い暴挙だ」と批判しています。これは国内に向かっていくら威勢の良い言葉を使っても戦略がなければ言葉だけが踊ってしまう空疎なものである。本来ならばこの言葉は昨年の国後島訪問時に堂々と世界に向かって宣言すべき言葉である。

例えば、1月27日米格付け会社が日本の長期国債を格下げしたことに関し問われ、今初めて聞いた、ちょっとそういうことに疎いので、改めさせて欲しいと発言した。一国の長期国債の格下げ問題は、国債依存度の高い日本にとって死活問題である。かつて財務大臣を経験した総理のコメントとは思えないリーダシップの欠如である。

例えば、総理の施政方針演説で「一人一人の不幸を放置したままで、日本全体が自信を持って前進できないのです。我々の内閣で、最小不幸社会の実現を確実に進めます」と宣言している。
では問いたい。あの尖閣列島の衝突事件。衝撃的な映像公開を中国との密約で行わなかった結果どうなったか。あろう事か公務執行妨害の船長を釈放する理由を検察庁のコメントで糊塗した姑息さが問題なのである。本来検察庁の業務は証拠を集めて罪の有無を検討し、起訴するかどうかを判断することである。しかるに、中国との関係に支障を来す恐れがあるので釈放したと那覇地検に語らせる稚拙さ。関係国との交渉は正に政府の仕事であるにもかかわらず那覇地検に語らせる不甲斐なさに国民は興ざめしてしまった。

このとき、死を賭して活躍していた憂国の志士、一色航海士がユーチュウブで「誰もやってくれないから自分でやるしかなかった」と言ってビデオを公開した。この結果、責任を取らされて辞職した彼は「ほんとうは海が好きです。だけとこれからは仕事も住むところも考えなければいけない」コメントしている。このビデオは即時全世界に向かって公開すべきであった。そうすればあそこまで中国につけあがらせることはなかったのである。施政方針演説で「一人一人の不幸を放置したままで・・・」はどうなったのでしょうか。中国に阿ったあげく有能な航海士を失っても何の反省もない人物に心からの信頼が保てるでしょうか。地位が重くなるほど言葉は重要なのである。最近マニフェストの反故を平然と語るようになってきた。民度の高い国民の反応が支持率低下という結果を招いているのではないか。