張子房塾

経営者の皆様を対象に経営塾を開設しました。今までの経験を中小零細企業経営者支援に全力投球します。

現代の魔女狩りか?独断と偏見の仮説

 15世紀から17世紀の時代、ヨーロッパ諸国において、多くの人々が魔女の嫌疑を掛けられて、世俗の裁判や宗教裁判などによって命を奪われたことは西洋史で学んだとおりである。
 数世紀の時を経て東洋の日本で復活した感がある。今、民主党小沢党首があたかも魔女狩りの如く非難に晒され、まかり間違えれば政治生命を絶たれるところまで追い込まれていることはご承知のとおりである。

 今回、西松建設からの献金問題は、ロッキード事件で政治生命を絶たれた田中角栄のケースに酷似し、金権政治の権化の如くマスコミは扱って、まるで犯罪者であるかのような空気が醸成されている。

 そもそもロッキード事件は航空機の激しい売り込み合戦から発したもので、日本ばかりでなく同様の手口でヨーロッパ先進国にも及んでいた。しかし、事件として扱い、元首相の犯罪として立件したのは日本だけである。ヨーロッパは民主主義の先進国として、政治の上では清濁併せのむと言う寛容の精神が不可欠で、政治家に過度な清廉潔白を求めすぎることは国民のためにならないことを長い歴史から学んでいるから、ロッキード献金は事件にならなかった。

 一方、日本では政治家に聖人君子を期待するが故に、何か事件があると本質を忘れて枝葉末梢のことに振り回され、有意な政治家を抹殺しかねない体質を常に持っている。今、国民が望んでいるのは、永年にわたる自民党体質が制度疲労を起こし、官僚政治の弊害が限界に達し、最早、政権交代以外に残された道は無いと言う事実である。このような重大な岐路に立っている今日、政治資金規正法違反で秘書を逮捕し、小沢党首を極悪人の如く扱う姿勢に問題がある。過剰反応のマスコミにも問題があり、自分は清廉潔白であると言って小沢党首を批判する代議士の品格を疑う。【角を矯めて牛を殺す】と言う故事を思い出して欲しい。意味は、ちょっとした欠点を直そうとして、大事なところや全体をダメにしてしまう。【水清ければ魚棲まず】の喩えもある。

 清廉潔白と言えば、元国家公安委員長、現長野県知事は自他共に認めた人物である。ところが西松建設献金問題から秘書が自殺した事件をご存じでしょう。検察に事情聴取された結果の自殺である。遺書はなかったと言われているが【人の将に死せんとする、その言や善し】と言う論語の言葉があるが、政治献金があったからこそ、累が及ばないように身を処したと考えるのが当然である。

 あの清廉潔白の人でさえ、疑惑を持たれると言うことは、政治団体という寄付の抜け道を使っているのは全ての代議士も同様であると推察する。

 今回は献金の多寡が問題になったようであるが、有力者として影響力に期待した献金と言うことであれば政権与党の有力者への献金が少なすぎることを問題にすべきである。金額から判断するに与党側の議員は小物揃いであることを証明されたのである。何か変ですね。