張子房塾

経営者の皆様を対象に経営塾を開設しました。今までの経験を中小零細企業経営者支援に全力投球します。

我、未だ木鶏たり得ず

 昭和屈指の大力士、横綱双葉山が70連勝を目指しながら、安藝ノ海に敗れた時、恩師の安岡正篤先生に打電し、有名になった言葉です。
 木鶏とは、中国古典の中にある莊子におさめられている故事に由来するもので、木彫りの鶏のように全く動じない最強の状態を指して言います。
 故事では紀悄子という鶏を育てる名人が登場し、王から下問に答える形式で最強の鶏について説明する物語です。紀悄子に預けた王は、10日ほど経過した時点で仕上がり具合について下問する。すると紀悄子は「まだ空威張りして闘争心があるからいけません」と答える。
 更に10日ほど経過して再度王が下問すると「まだいけません。他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立ってしまいます」と答える。更に10日経過したが、「目を怒らせて己の強さを誇示しているから話になりません」と答える。
 更に10日経過して王が下問すると「もう良いでしょう。他の闘鶏が鳴いても全く相手にしません。まるで木鶏のように泰然自若としています。その徳の前に、かなう闘鶏はいないでしょう」と答えた。
 上記の故事で莊子は道に則した人物の比喩として木鶏を描いており、本物人間は他者に惑わされることなく、鎮座しているだけで衆人の模範となるとしている。
 前置きが長くなりました。実は小生10月25日に、左脇腹に違和感を感じたので医師に診断して貰ったら、腎臓結石の診断。腎臓結石は20代~30代の男性に多く出るようで、まだまだ若いと変な自信を持った次第です。しかし、精密検査が必要と言うことで相澤病院で検査した結果、5ミリ位の結石が確認されました。尿道経過中に激痛が走ると言われ、不安が一杯でした。
 小生、若い頃から精神を鍛えるために「天風哲学」を実践してきたつもりでした。「神経過敏になるな」、「取り越し苦労はするな」、「いざというときはクンバハカを実践せよ」等々、あらゆる知識を頭にたたき込んで理論武装してきたつもりです。しかし、尿道を出るとき激痛が走ると言われたり、時々不快な違和感を覚えただけで、神経過敏になり、食欲が無くなり、ここ数日間は誠にだらしない生活を送ってしまいました。正に「我、未だ木鶏たり得ず」の感が強いこの頃です。
 先日、伊那の「気道術」で不快感を解消して貰いました。その後は何の症状も現れません。「気道術」は本物です。
 ちなみに「気道術」とは、痛みの原因が筋肉の収縮であると言う理論から、「気」を用いて和らげる治療方法で、今、脚光を浴びつつあります。
 経営者の皆様もセミナー等で知識を豊富にすることは大事ですが、理屈ばかり先行して実践が伴わない。と言う結果にならないよう地に足を付けて頑張りましょう。